見出し画像

私の人生に新しい選択肢をくれたPIXTA【PIXTAクリエイターLife】

フォトグラファー ks__1984 | 佐々木 健治(Kenji Sasaki)
SNSをフィールドにフォトグラファーとして活動する”ks__1984”こと佐々木健治さん。Instagramのフォロワー数6.4万人の人気インスタグラマーであると同時に、PIXTAでストックフォトを企画制作するクリエイターでもあります。
SNSで既に成功をおさめていた佐々木さんが、なぜPIXTAと関わるようになったのか。PIXTAは「可能性を広げ、人生に新しい選択肢をくれた存在」と語ってくれた佐々木さんに、「PIXTAと私」をテーマに人生を振り返ってもらいました。

https://creator.pixta.jp/@ks__1984

「何者か」になることに焦がれた思春期

 私は「やりたいことがない」子どもでした。
 将来どうなりたいかも思いつかなくて、親に「手に職を持て」と言われて、福祉の道に進むことにしました。祖父母と実家で暮らしていたので、じぃちゃん・ばぁちゃんたちと接することに抵抗もないし、なんとなく「それもいいか」と思って進んだ道でした。

 いざ地元を出て専門学校に通うようになって、衝撃を受けました。
 たとえば教室で隣に座った人が、甲子園出場した元高校球児だったりする。ファッション好きのいつもおしゃれな人や、好きな音楽について熱く語る人だったりする。
 地元にはいなかった人たちです。何かしら「自分」というものを持っていて、すごく眩しく見えました。
 私には、それがありませんでした。趣味も打ち込んできたものも何もない。そういうカラッポな自分に、気づいてしまったんです。

 自分も「何者か」になりたい。
 
 まるで自分探しみたいに模索しはじめて出会ったのが「写真」でした。
 たまたま好きな女優さんが出ている映画のテーマが写真だったというミーハーなきっかけでした。デジカメを買ってなんとなく風景写真を撮るようになったのが、最初の「写真への興味」の入口だったように思います。

「カメラマンになりたい!」という誰にも応援されなかった夢

 でも、そこから本気で写真にのめりこんだわけではありませんでした。
 一眼レフカメラを買ったのは、映画をみてから4年後、26歳の時です。結婚して子どもが生まれたから、きれいに撮りたくて。
 入園とか、運動会とか、子どものライフイベントに合わせて写真を撮っているうちに、周囲から「うちの子も撮ってよ」と頼まれるようになりました。それで勘違いしたんです。「自分は、撮れる」って。

 PIXTAを見つけたのはその頃でした。どうせ写真を撮るなら、収入につなげられたらいいな程度の軽い気持ちで、何枚か風景写真を登録しました。でも、売れませんでした。ストックフォトはそれっきり。今なら「それで、売れるわけがない」と分かりますが、当時はお金にならないなら時間を費やすのも無駄だと思ったんです。

 30代に入って、自分のキャリアに迷いが出てきた頃でもありました。このまま福祉業界でずっと働いていくのか。周囲は上位職に出世したり、新しい事業を始めたりしていて、自分だけが取り残されているような気がしていました。
 家族からも、違う働き方を強く求められるようになっていました。煮えきらない態度の私に、頭にきてたんでしょうね。「あなたは、どうしたいの? 何かやりたいことはないの?」って詰められて、とっさに言ったのが「カメラマンとしてやっていきたい!」でした。

 家族からは、猛反対されました。
「どうやってなるの? 食べていけるの? 無理でしょ」って。両親も、友人たちも、誰一人応援してくれる人はいませんでした。
 それで私も諦めてしまいました。そうだよな、なれるわけないよなって。
 
 今思えば、反対されて当然だと思います。だって、諦めてしまえる程度のものだったんです。熱意や行動、何も見せられていなかったのに、応援なんてしてもらえるはずがなかったんです。

人生をやりなおそうと決めた時「写真」だけが依りどころだった

 諦めたくせに、それからもずっと悶々としていました。年を追うごとに自分の人生への迷いばかりが大きくなっていきました。
 結局、未だ「何者でもない自分」のまま、本当にずっとこのまま生きていくのか。40代になっても、50代になっても?
 何度も自問して出た結果は「嫌だ」でした。
 変わりたい。納得がいく人生を生きたい。
 でも、どうやって?
 そう思った時、依りどころになったのが「写真」でした。
 勢いだったとはいえ、一度は「カメラマンになりたい」と口にしたそれを、まずは本気でやってみよう。それが、30代後半に差し掛かった私の、一世一代の決意でした。

 それからは、空き時間はすべて撮影に当てました。Instagramにアカウントを作って、日々写真を投稿。自分の写真がどう評価されるのか、どうしたらもっと多くの人に観てもらえるのか考えました。リアクションの良かった写真の傾向を研究して試すことを、ひたすら繰り返す。

 ストリートスナップから初めて、ポートレートを撮るようになると「可愛い女性モデル」を撮ると反応が良くなりました。
 でも、私はそれが嫌でした。その評価は可愛い子だからであって、自分の写真じゃない。自分にしか撮れない、自分だからこそ撮れる写真で認められたい。それもあって、あえて人の顔がはっきりと見えないシルエットを撮りはじめたら、リアクションの質も量も大きく変わりました。

 これだ、と思いました。「夕闇が迫る黄昏れ時に、ぽつんとひとりたたずむ姿」は、漠然とこれまで触れてきた映画やイラストやアニメやゲーム……そういう、クリエイティブなものの中で、自分が惹かれてきた世界観でした。

 この世界観をどこまで写真で表現できるのかを追求する者になろう。

 そう決めて、ただひたすら探求しました。気がつけばInstagramのフォロワーは万単位で増えていきました。嬉しかったです。自分の頑張りを認められた気がしました。自分の写真を好きだと言ってくれる人、応援してくれる人たちがたくさんいる。自分のことも、誇らしく思えるようになりました。

 ただ、それが仕事にはつながりませんでした。
 Instagramだと「きれいだね」で終わってしまっていたんです。

PIXTAがくれた新しい可能性

 写真を仕事にしたい。でも、どうしたらいいのかが分からない。
 そんな時、InstagramのDMに連絡をくれたのがPIXTAでした。
「ストックフォトの新しいニーズを生み出すために、あなたの世界観で勝負してみませんか?」と誘われたんです。
 一度手を出して、それっきり放置していたあのPIXTAです。最初は戸惑いました。でもそれ以上に、声をかけてもらえる存在になれたことが嬉しかったです。10年前に放りだした自分とは違う。今までやってきたこと、変わった自分を認められた気がしました。
 ぜひ、やりたいとお返事して、再びPIXTAに取り組むようになりました。

 かつてのように、適当に写真を投稿するのではありません。PIXTAのコンテンツチームのスタッフの方々にも相談しながら、自分の世界観とストックフォトのニーズがすり合う場所を模索しました。
 事前に何をどう撮るのかを企画し、時間内でどうやって撮影していくのかを組み立てて撮影する。ストックフォトに真正面から取り組むようになって「仕事として撮影する」ということがどういうことなのかも学べました。

 自分が一生懸命に行動すると、変わるんです。
 応援してくれる人も、手を貸してくれる人も、教えてくれる人も、一緒に頑張ろうとしてくれる人も、集まってきてくれる。

 最初に写真が売れた時は、不思議な気持ちでした。自分の世界観が世の中に通じた、という驚きと喜び。売れた写真を起点に、また新しい撮影を企画して、その中に「自分の世界観」を織り交ぜていくことは、楽しくて刺激的でした。

 毎月のように東京に行ってストックフォトの撮影をしているうちに、自分も東京で勝負したいと思うようになりました。

 本気で「フォトグラファー」として生きていく。
 そして、2023年に地方都市を出て上京しました。

あの日、口にした「ただの夢」を現実にするために

 SNSは、何者かになりたくてもがいていた私に「自分というもの」をくれました。そして、PIXTAがフォトグラファーとして生きていく自信と可能性、人生の新しい選択肢をくれました。

 これからやりたいことはたくさんあります。
 作品撮りも続けたいし、今までにないストックフォトも、もっと追求してみたいし、商業撮影の案件も増やしていきたい。

 でも、目指しているのは、なんでも撮れるフォトグラファーではありません。
 先日、私の写真を見て写真館を生業にしているプロのカメラマンが「僕には撮れない写真だ」と言ってくれたことがありました。すごく、嬉しかった。

 私は、誰にも撮れない写真を撮りたい。
 自分の世界観で、どこまでできるのか勝負してみたい。
 そういう挑戦ができるのも、PIXTAがあるおかげです。

 まだ、夢の途上ですが、相手のニーズを汲み取った上で自分の世界観で応えられる、そんなフォトグラファーを目指して、これからも挑戦し続けていきたいと思っています。

これからも、佐々木さんの才能がたくさんの人につながりますように……!

(執筆:ピクスタ+編集部)

この記事が参加している募集