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わたしにとってPIXTAはやっとひらいた「夢への扉」【PIXTAクリエイターLife】

PIXTAクリエイター|イラストレーター 小林いずみ (Izumi Kobayashi)
2010年にPIXTAに登録して以来、イラストレーターとして活動する小林いずみさん。「画家になりたい」という子どもの頃の夢は叶わず、やがて結婚、出産、二児の母となり、いつしか夢が思い出に変わろうとしていた頃、出会ったのがPIXTAでした。そんな小林いずみさんに、「PIXTAと私」をテーマに、人生を振り返ってもらいました。

画家になれると信じていた少女時代

 子どもの頃から、自分でものをつくるのが好きでした。特に絵は、小学生の頃から毎年絵画コンクールで入賞。中学校に上がってからも、絵だけは褒められ続けました。「絵を描くこと」はわたしの唯一の得意なものでした。

 はじめて将来の夢に「画家になりたい」と書いたのは中学校の卒業文集でした。絵を描いて生きていけるなんて最高じゃん! って思っていたんですね。そんな人はひと握りしかいないことに、まだ気づいていませんでした。

美大に入れない現実に、自分を支えてきた「絵」を捨てた

 高校で美術部に入りましたが真面目に活動はしませんでした。つい、友達や彼氏と遊ぶことの方が楽しくて(笑)。でも、進学を考える時期になって将来を考えた時、思ったんです。「やっぱり絵を描きたい」って。

 東京芸術大学を目指して、受験のために地元の美術学校に通いました。でも、受からないんですね。2浪、3浪もあたりまえだと知って、覚悟を決めて東京の美大専門の予備校に通うようになりました。それでも、受からない。諦めたくなくて、また浪人して受験して……結局3年通いました。デッサン力は徹底的に鍛えられましたが、芸大には受かりませんでした。

 その時には、もう心が折れてしまっていました。高校を卒業してから3年、20歳も過ぎて、未だに大学に入れない。「諦めて、働こう」と思いました。絵から離れようと思ったんです。 

諦めきれず何度も叩いた出版社の扉は、開かなかった

 諦めて働くと決めても、なかなか割り切れませんでした。絵じゃなくてもいい、どんな形でもいいからものをつくることに携わっていたかったんです。そんな時に出会ったのが「影絵の劇団」でした。ここでなら影絵をつくれると思って入ったんですが、実際は制作よりもほとんど劇団員として人形操作して全国を飛び回る日々でした。

 影絵の世界は美しく、忙しくて大変でしたが、楽しかったです。でも、自分の絵も諦めきれなくて。合間を縫っては、絵を使ってもらうチャンスを求めて、出版社やデザイナーさん、アートディレクターさんをたどっては、いろいろな人に自分の作品とプロフィールを持って会いに行きました。

 でもダメなんです。チャンスの扉を探して探して、やっとみつけた小さな扉に、時間と労力と精一杯の勇気を持ってノックしても、どの扉も開かない。誰にも、わたしの絵は必要とされなかったんです。

遠い昔の思い出に変わろうとしていた夢との再会

 そのうち仕事も忙しくなって夢中で働いて、26歳の時、職場で出会った夫と結婚、28歳で長男を出産しました。日々の中で、画家への夢は「あれは遠い昔の夢だった」と時折、懐かしむものになっていました。

 子育てに専念しようと、専業主婦として家に入ると孤独でした。出かけるといえば、せいぜい近所に買い物に行く程度です。子どもと過ごす閉じた世界の中で、どれだけ子どもがかわいくても、母ではないわたしに戻れる時間が欲しくなりました。気晴らしに好きなことをしようと手に取ったのが、絵筆でした。わたしの専門は油絵でしたが、まとまった時間がとれないから水彩画。それでも、楽しかったです。でも、それだけでした。目的も目標もなかったからです。

 だからといって、もう一度自分の絵を持って夢の扉をたたいて回る気力も、かけられる時間も、勇気もありませんでした。とにかく、まだ小さい子どもたちを抱えて身動きがとれなかったんです。

 そんな時に、友人のブログで知ったのが『PIXTA』でした。

わたしの「絵」を求めてくれる人が、ここにいた!

 友人の写真が、実際にPIXTAで売れているらしいことを知って、わたしもイラストを登録してみることにしました。知りたかったんです。世の中に、わたしの絵を求めてくれる人は、存在するのか。本当に誰もいないのか。使ってもらえるレベルではないのか。

 ただ誰かにみてもらうだけなら、ブログでも良かった。でもわたしは、ただ見てもらうだけでは喜べませんでした。見てもらうだけでは何も生まれないし、どこにも何にもつながりません。ちゃんと、誰かに認められてその人に必要とされる「つながり」がほしかったんです。

 手持ちの水彩画5、6点をスキャンしてPIXTAの審査に出したら、全て通過しました。ずっと家にいたから社会とつながる喜びがありました。わたしの作品をみて、審査してくれる人がパソコンの向こうに確かに存在していることが、嬉しかったんです。

 登録から約1ヶ月後、はじめてPIXTAから「あなたの作品が売れました」というメールが届きました。今でもよく覚えています。今まで経験したことのない喜びでした。本当に嬉しかった。だって、わたしの絵を求めてくれる人が、ここにいたのですから。

はじめてPIXTAで売れた小林いずみさんの絵

夢の扉の先に、広がっていたイラストレーターの道

 作品が売れれば売れるほど嬉しくなって、どんどん投稿するようになりました。

 半年ほど経ったころ、PIXTAのクリエイター宛のメッセージ機能から一通のメールが届きました。「iPhoneアプリ用に、イラストを描き下ろしてほしい」という内容でした。

 わたしに描き下ろしのイラストの依頼です。信じられませんでした。飛び上がるほど嬉しかったです。夫に話したら「すごいね」と言ってくれました。あまり興味なさそうだったわりに、アプリが完成するとダウンロードしてくれました。

 その後もPIXTAを通じて、描き下ろしの依頼はちょこちょこと入るようになりました。今もおつきあいのある出版社の編集さんとの出会いもPIXTAがきっかけでした。「一度、打ち合わせがしたい」と言われて、あわてて名刺をつくりました。名刺になんて書こうか、少し迷ってから「イラストレーター」と書きました。それ以来、わたしは画家を夢見ていた主婦ではなく「イラストレーター 小林いずみ」になれたんです。

画用紙に水彩画を描きスキャナーで取り込んで画像編集をするのが小林さんのスタイル

PIXTAは、夢をかなえてくれた場所

 もし、PIXTAに出会えていなければ、わたしはイラストレーターにはなれませんでした。絵は描いていたと思いますが、こんなにたくさん楽しく描き続けているとは思えません。今まではただの気晴らしだったし、画家を目指して油絵を描いていた時でさえ、自己満足でしかありませんでした。一方的に、外に向かって「わたしの絵を見て!」と叫んでいるだけで、そこに価値はなかったんです。でもPIXTAなら、絵を通じて誰かにつながることができます。

 あんなに探していた夢への扉が目の前にあって、しかも全開に開いていて、そこには世界中のありとあらゆる職種の人とつながっていて、扉の向こうにはわたしの絵を必要としてくれる人が必ずいる。PIXTAは、わたしのはじまりの場所です。わたしにチャンスを与えてくれて、画家ではないけれど「絵を描いて生きていく」という夢を叶えてくれました。

 今後は、絵本のような世界観の強いイラストにも挑戦したいと思っています。それが受け入れられるのかどうか、PIXTAなら試すことができます。もし、そういう絵を求めてくれる人とつながれたなら、また新しい世界の扉が開けるかもしれないと思っています。

これからも、いずみさんの才能がたくさんの人につながりますように……!

(文:ピクスタ 広報担当 小林順子/写真:fotowaフォトグラファー 林直幸)