【社員インタビュー】PIXTAをクリエイティブインフラに
PIXTAの素材が数百万点の頃から、現在の3,000万点を超えるまで、長年ピクスタのクリエイターやコンテンツを支え、サービスの成長に貢献してきた鈴木。役割も様々に変化する中で、どのように仕事に向き合ってきたのか、またこれからのPIXTAをどうしていきたいかを語ってもらいました。
自分のキャリアは好きだった映画からはじまった
ーーピクスタではクリエイティブな仕事に関わっていますが、クリエイテイブなものに興味をもったのはいつからですか?
小学生から中学生くらいでしょうか。映画好きの父と姉の影響があったと思います。特にアメリカというかカリフォルニアの文化が好きで、学生時代は映画や音楽にどっぷりだった気がします。
海外留学は自然と意識せざるを得なくなって、カルフォルニアの州立大学に進学しました。メディアの学部で、専攻は商業コンテンツとしての映画をどうつくるか、プロデュースするかを学びながら、クラスメイトと短編映画の撮影もしていました。勉強もしましたが、とにかく遊んでましたね(笑)。
ーー大学卒業後は日本に帰ってきたのですか?
アメリカで大学卒業して、インターンした後に日本に帰ってきました。外国映画を買い付ける仕事をしてみたくて、映画の配給会社に入りました。1枚の企画書から脚本が出来上がり、最終的に上映に至るまでのプロセスを体験できて、とても勉強になりました。
目利きの映画買い付け、ヒットメーカーみたいなところに憧れてて(笑)。でも映画買い付けはセンスでもなんでもなく、商業コンテンツとしてどれだけ映画のビジネス的な末路を見てこられたかなんだと思い知らされました。
ーーその後はどうしたんですか?
自分の仕事との先に、業界への自分の貢献があまり見えなくなってしまった時期があって、縁もあって報道カメラマンのエージェンシーに転職しました。
ーー映画じゃなくて、写真に方向を変えたんですね。
はい、全然写真の知識はなかったのですが(笑)。上司のディレクターや所属カメラマンには、写真の見方、選び方や構成の仕方など、イチから教えてもらいました。
30歳が目前になって、ようやく真剣に自分のキャリアというか、先のことを考え始めるようになりました。もっと自分にしかできない事があるのかないのかとか。20代は本当に視野が狭かったですね。とりあえず、やりたいことやっていたという感じです。
クリエイターとの関わりで気づいた自分のやりがい
ーーピクスタとの出会いはいつでしたか?
前職にいる時でした。同じ写真の業界ではあったので。当時はまだ業界も、写真の使い方で値段が変わるRM(ライツマネージド)の時代で、プロカメラマンによる、プロ向け業界でした。
でもピクスタは、アマチュアカメラマンからネットの力を使って写真を集めて、サイズ毎のシンプルな値段設定でした。単純に安いのもびっくりしたんですが、値段を一律にしちゃったというのに驚きました。前職ではいかに一流カメラマンの作品に付加価値をつけるかというビジネスだったので。
あとは「誰でも撮って売れるし、誰でも買って使える」。ここにとても可能性を感じました。
ーー「もっと自分にしかできないことがあるのでは」と考える中で、なぜピクスタを選んだのですか?
サービスの新しさや伸びしろも感じましたが、コンテンツの質が上がればもっといいサービスになると思いました。また多言語展開すれば、海外にも進出できるなと。自分の海外経験や、前職の経験を活かして、自分なりの貢献の形がとても見えたことが大きかったと思います。
あとは、人が良かったというのも決め手になりました。最初の面接から部長と役員がでてきましたが、とてもフラットで雰囲気の良さが伝わってきました。それまでは割とトップダウンな会社にいましたので。
やりたいことを仕事にしてきた20代から、自分が本当に良いと思ったサービスの中で、自分なりの世の中への貢献の仕方が、なんとなく見えた転職だったと思います。
ーー入社してからはどんなことに取り組みましたか?
海外のプロダクション開拓、主に海外写真コンテンツの調達をしていました。泥臭く片っ端からアプローチしてました。
当時海外は契約書も紙ベースだったので、クリエイターから契約書をメールで送ってもらって、コンテンツも自分たちでPIXTAにアップロードしていました。
その後は英語サイトが立ち上がり、クリエイター自身が、コンテンツをアップロードできる仕組みも整って、社内では「ピクスタの今後はアジアだ」という流れになっていました。
伸びしろがあるアジアに展開するには、コンテンツを集めないといけない。そのために、まずはクリエイターを育てないといけないということで、既にシンガポールを拠点に活動していた、役員の内田や先輩を追う形で始まりました。それが入社して1年半後くらいだったと思います。
ーー役割がまたガラッと変わったんですね。海外ではどんなことに取り組んでいたのですか?
現地のカメラマンを集めて、ストックフォトグラファーとしての働き方を周知するセミナーを開催したり、撮影会を行ったりしました。シンガポールを拠点にチームでマレーシアやタイでも活動していました。
何も決まったやり方がないので、海外では自分で判断してやっていかなきゃいけない。その反面、やりたいようにやらせてもらいました。楽しくて、なかなかできない経験をさせてもらったと思っています。
ーー特にどんなことが楽しかったですか?
現地のクリエイターが楽しそうに合同撮影に参加してくれた点でしょうか。充実感はありました。売れたら都度連絡してくれたりして(笑)。
東南アジアのカメラマンの写真が、日本の購入者に買われるという繋がりを自分がリアルにつくれたことや、PIXTAというサービスの魅力、存在意義、企業理念にもある「才能をつなぎ、世界をポジティブにする」をリアルに体感できたことはとてもモチベーションになったと思います。
クリエイターから一番に選ばれるサービスにしたい
ーーなぜこんなにたくさんチャンスを掴めているんですか?
あまり自らチャレンジしてきた実感はなくて、節目節目で上司や先輩に「今度こっちやってみない?」と機会をもらって、自分なりに取り組んできたというのが正直なところです。海外も自社コンテンツ制作も。最初は自信もありませんでしたし。ただ、任せられた以上、基本的には人の期待には応えたいという性格は強い方だと思います。
ーーそれでも、目の前にあるチャンスを掴んで形にしてきていますよね。何が原動力なのですか?
それぞれの取り組みの中に自分の楽しみと、その先にプロダクトがよくなるという、意義が見えていたからだと思います。
あとは仲間ですかね。新しいことやるのって大変ですが、徐々に成果が見えてくると、同じ志を持つ仲間が増えくる。そうするとほんと会社に来るのが楽しくなりますね。
ーー今はCAG(クリエイティブアドバイザーグループ)として、どんなことを意識して取り組んでいるのですか?
チームの方針はクリエイターオリエンテッド(志向)です。クリエイターのために何ができるか、とういうのが基本姿勢で、やっぱりお互い生身の人間同士、信頼関係を大事にしています。
写真/イラスト/映像、各コンテンツジャンルを担当するクリエイティブアドバイザーと、クリエイターコミュニティーを活性化させるコミュニティーマネージャーという体制で動いています。
コンテンツ制作に役立つ情報発信や、セミナー、交流会や合同撮影会など、特にクリエイターと直接会ってコミュニケーションをとれるアクションを大事にしています。近況の把握はもちろんですが、自分たちの取り組みに対する率直な意見や、プロダクト自体の改善につながる声も聞けるので、とても重要なアクションです。
今後はあまり直接お会いする機会が少ない地方のクリエイターとも交流を図れるような施策も考えていきたいと思ってます。
ーーPIXTAのコンテンツ領域について、今後の目標を教えてください。
ひと言で言えば、多様性だと思います。
ベースとなるストックコンテンツ制作ノウハウや、セオリーの発信だけでなく、プラスαでどう強みを見つけてもらうかという点です。
あたりまえですが、クリエイターひとりひとり、制作する環境も違えば、年齢やスキルも考えも違う。例えば、夕日が綺麗に見える場所を知っている、笑顔が素敵なおばあちゃんと住んでいる、気持ちの悪いイラストが描ける、遊びながらいつも映像撮っちゃうとか、個人的には全部が強みになり得ると思っています。
写真や映像を撮るという行為自体がどんどん生活の一部になってきていますし、そうすると求められるビジュアル自体も実はカメラマン、クリエイターの半径何メートル以内の、日常の身近な事象になっていく気はしてます。
その類のコンテンツって、逆に撮り下ろしの広告写真だと表現が難しい分野だとも思いますし、ストックだからできる部分でもあるなとも思うんです。
ストックのノウハウをベースにどれだけプラスでオリジナルをのせてもらうのかという所ですね。PIXTAでコンテンツを探していて、サムネイルを見ただけで、どのクリエイターのコンテンツなのかが全部わかっちゃうくらい、オリジナルな才能がキラキラしていると最高だと思います。
ないものがない、なんでもあるし、見てるだけでも面白い。それがPIXTAのビジョンでもある、クリエイティブインフラの状態だと思ってますし、そこが理想ですね。
(聞き手/執筆:戦略人事部 採用担当 古川朋佳 | 写真:fotowaフォトグラファー 林直幸)